桐生川に伝わる河童伝説2

河童とあめ玉

河童神社と手前の川

子供が13歳で死ぬ運命にあることを知ってしまった猟師と子供を殺す役目を負った河童のお話です。

元の話のあらすじ

 子宝に恵まれなかった猟師の甚左衛門が、産土の神様に熱心にお願いをした結果、男の子を授かりました。

しかしこの子は神様の手違いで、13歳になると川で命を奪われる運命の子でした。

神様の立ち話を聞いてしまった甚左衛門は内心打ちひしがれましたが、何事も無かったように13年間子供を育てました。

 

 そして13歳になった子供が川に釣りに行くと言いだした時、甚左衛門は今日が子供の死ぬ日であることを予感しましたが、神様が決めたことなのだからと子供が大好きだったあめ玉を買って持たせたのです。

 川で釣りをしている子供の命を奪おうと近づいた河童は、大好物のあめ玉を見つけると、あまりのおいしさに命を奪うことを忘れてあめ玉を食べているうちに殺す予定だった12時が過ぎてしまい、諦めて帰ってしまいました。

 

 息子が死なずに帰ってきたことに驚いた甚左衛門は、河童があめ玉を食べたことで子供の命が助かったと思い、河童淵にあめ玉を添えるようになったそうです。

 

参照サイト KAIC・・桐生の民話「河童とあめ玉」、Albert 佐々木氏・・河童と民話館

 

元のお話をもっとじっくり読みたい方はKAIC桐生民話「河童とあめ玉」をご覧ください

桐生市梅田町5丁目の河童神社
桐生市梅田町5丁目の河童神社

民話の背景

「あめ玉」で時代を推察

 このお話にはあめ玉が登場します。

日本では古代から飴がつくられていました。

但し、でんぷんに麦芽を加えて煮詰めた水飴のようなもので、甘味料として使われていたようです。

 砂糖を使った固形の飴が作られたのは江戸時代に入ってからです。

当時砂糖は高価な輸入品であったため、庶民には手が届きませんでした。

8代将軍徳川吉宗や薩摩藩などが国内でサトウキビの栽培を始めた結果、飴が庶民のお菓子として大人気になりました。

つまり、この物語の舞台は江戸時代後期以降であることがわかります。

飴のイラス

産土の神様

 産土(うぶすな)の神様とは、生まれた土地を守っている神様であり、生まれる前から自分を守っている守護霊です。

氏神様が血縁関係を中心に人を守っているのに対して、産土の神様は土地を中心に人を守っていると言われます。

根本の神様

 桐生市のほぼ北端、群馬県と栃木県の県境に根本山があり、ここに山の神として根本神社が祀られています。

この根本山を源流として桐生川が桐生を縦断しており、渡良瀬川に合流しています。

★考察 甚左衛門はどこまで知っていたのか?

 この物語を読んで疑問に思うことがあります。

殺される予定の時間が12時であったことを甚左衛門が知っていたのかどうかです。

知っていればその時間は川に行かせなかったでしょうか?それとも神様が決めた運命だからと思って行かせたでしょうか?

民話の流れでは殺される予定の時間までは知らなかった可能性が高いです。

「いずれ死ぬ運命にあるなら好きにさせよう」と思ったのですが、河童のほうは殺す時間にタイムリミットがあり、そのあたりが説明不足な感じがします。

 

 また甚左衛門が子供を川に行かせた理由自体も現代人にはしっくりこないものがあります。

この辺をもう少しわかりやすく、深堀することで、もっと面白い話になるのではと思いました。

 

 以上の検証を元に、オリジナル創作部分を加えて河童とあめ玉の完全版を作ってみました。

序盤はほとんど変わりませんが、中盤からは創作部分が加わります。

お子さんの心の栄養にもなりそうな感動の物語に仕上がったと思います。

完結版創作民話

河童とあめ玉

第1章 運命の子

神様のイラスト

 津久原(今の梅田町5丁目)の漁師の甚左衛門さんは美しいおかみさんと何不自由ない暮らしを送っていました。

 しかし二人にはたった一つだけもの足りないものがありました。

それはまだ子宝に恵まれていないことでした。

そこで近くの産土(うぶすな)さまにお願いすることになり、夫婦そろって子授け祈願の日参を行いました。

来る日も来る日も産土さまをお参りを続けた甚佐衛門さん夫婦は、長い長い日参の甲斐あって、ついに念願の子宝が授けられました。

 

 するとその日から甚左衛門さんは、今度は産土さまに「どうぞ、丈夫な子供が生まれますように。」とこれまでとは別のお願いの日参を始めました。

 そんなある日のこと、左エ門さんは、産土さまと根本の神様のお二人が何やらヒソヒソと話し合っているところに出くわしました。

根本の神様が問いかけます。

「産土さんよ。近ごろどこか元気がないようじゃが、体の具合でも悪いのかね。」

すると産土様が言うには・・

「いやぁ、体は大丈夫じゃが、実は困ったことをしてしまったのじゃよ。」

「困ったこと?」

「ああ。」

「どうしたのだね。」

「根本の神さんも、近くに住む猟師の甚左を知っているじゃろう。あの甚左が子供を欲しがってのう。あまりにも熱心に日参するもんじゃから、先日、その願いをかなえてやったんじゃ。」

「甚左に?それはよいことをなされた。それなら、なにも困ることはなかろうに。」

「いやあ、それが実際には困ったことになってしまったのじゃ。」

「?。」

「実は……。甚左に授けた子じゃが、たくましい男になる子供を用意していたのじゃが、まちがって違った子を授けてしまったのじゃ。」

「まちがったぁ。どんな子を授けたんじゃ」

「十三の誕生日のお昼に、川で命を奪われる運命の子だったんじゃ。子供が生命を失うときの甚左夫婦の嘆きようを思うとな……。」

 この話を木陰に潜んで聞いていた甚左衛門さんのショックは如何ばかりなものだったでしょう。

ようやく授かった子供が、13歳の春に川で命を落とす運命であることを知ってしまったのですから・・

 

 甚左衛門さんは一時は仕事も手につかなくなってしまうほど落ち込みましたが、このことはおかみさんには知らせず、そっと自分だけの胸にしまい込んでおくことにしました。

そしておかみさんのお腹が歩くのも大変なくらい大きくなるころには、おかみさんの心と体を案じ、前にも増してイソイソと働き続けました。

第2章 伝説の薬

梅田の山が崩れている場所

 やがて元気な男の赤ちゃんが生まれました。赤ちゃんは綱次郎と名付けられ、両親の愛を一身に受けてスクスクと育ちました。あまりにも順調な成育ぶりに、十三歳の昼に命を取られる子だとはとても思えないほどでした。

 そしてその綱次郎が、十三歳の誕生日を翌日に控えた日のことです。

元気だったおかみさんが突然病に倒れたのです。

甚左衛門さんは桐生でも名医と言われるお医者さんを呼んで診てもらいました。

 おかみさんをしばらく診ていたお医者さんは、甚左衛門さんに告げました。

「大変気の毒じゃが、あと3日持つかどうか・・」

仁左衛門さんはビックリして言いました。

「そんなの嘘にきまってらあ、おっかーは昨日まで元気だったで」

お医者さんは続けて言いました。

「一つだけ助ける方法がないでもないが、今からでは間に合わんじゃろう。」

「どうすればおっかーを助けられるんか教えてくれんかの」

「河童が伝えたと言われる伝説の薬、河童湯があればお前さんのおかみさんは助かるかも知れん。」

「河童湯はどこにあるんじゃ、おらあ取りに行くで。」

「河童湯は今は無いんじゃ、山で3つの薬草を集め、桐生川の主ともいえる黄金の鯉の肝と一緒に煎じて煮詰ねばならんのじゃよ。」

 

 それを聞いて甚左衛門さんは梅田の山を必死に歩きまわりました。

そして頑張って探したかいあって、お医者さんに言われた薬草を二つまで見つけました、しかし三つ目の薬草は崖の途中に生えていたのです。

甚左衛門さんが崖の途中にある薬草を取ろうと掴んだ瞬間に、足を滑らせ崖を滑り落ちてしまいました。

 家でおかみさんの看病をしていた綱次郎は甚左衛門さんが山に入ったきり帰ってこないので心配していましたが、暗くなったころ、足を引きづり、体中に傷をおった甚三郎さんが薬草を抱えて帰ってきました。

息をするのもつらそうな傷ついた体で甚左衛門さんは言いました。

「薬草は見つかったで、明日は桐生川に行って黄金の鯉を釣って見せるわい」

すると綱次郎は言いました。

「その身体じゃ桐生川まで行けねー。片方の手も怪我をしているから鯉を釣り上げるのも無理だべな。俺が桐生川に行って鯉を釣ってくるからおとうはここで怪我を治しながらおっかあを見ててくんねーか。」

すると甚左衛門さんは

「綱次郎、良ーく聞け、お前は十三歳の誕生日のお昼に川で命を奪われる運命なんじゃ。だからお前は行ってはいけねーんだ。」

「えっ」

綱次郎は言葉を失いました。

 

 翌朝のまだ薄暗い時間に、釣り竿を持ってこっそり家を出ようとする影がありました。

「おとう、すまねえ。やっぱり俺行かずにはいられねえ。」

綱次郎でした。

そして家の外へ一歩出ようとしたその時、呼び止める声がしました。

「待て綱次郎」

声の主は甚左衛門さんでした。

「止めても無駄だろうて。これも神様が定めた運命かもしれねーな。」

続けて言いました。

「お前は川に行くような気がしとった。そんだら最後に食べさせるんべーと思って、桐生の町に行ったときにお前の大好きなあめ玉を買っておいた。これを持って行ってこい。」

「おとう、ありがとう、おらあ必ず帰ってくる」

綱次郎を見送った後の甚左衛門さんは、13年間を思い出して涙が止まりませんでした。

 

第3章 綱次郎と河童

釣りをする男の子のイラスト

 桐生川についた綱次郎はしばらく釣り糸を垂れていましたたがいっこうに釣れる気配はなく、時間だけが刻々と過ぎていきました。

そして昼も近くなったころ、後ろに男の気配が・・そう、男の正体は綱次郎を殺す役目を負った、桐生川の河童淵で暮らしている河童でした。

 河童が今にも襲い掛かろうとしたとき、釣り糸を垂らしながら綱次郎が言いました。

「カッパどん、待っておくれ、俺はここで殺されてもいい。でもおっかーを助けてーんだ。」

すると河童は、

「無理だ。お前はここで殺される運命にある。」

と言いながらも釣った魚を入れるツボを見て、

「それにしても一匹も釣れないじゃないか、お前は釣りをしたことがあるのか?」

「釣りをするのは初めてだ、でも絶対に黄金の鯉を釣って病気のおっかーに肝を飲ませるんだ。」

「親孝行で感心な子だ・・でもかわいそうだが、お前にはここで死んでもらうことになっている。」

と再び襲い掛かろうとしたとき、

「待っておくれ、ここにあるあめ玉をあげるから少しだけ待ってほしい。」

というと甚左衛門さんがが持たせたあめ玉を見せた。

「そんなものを見せても無駄・・と思ったが、まあ一つだけなら貰っておいてもいいだろう。」

河童はそう言ってあめ玉を一粒口に入れると。

「こりゃあ、うまい。」

甘い物が大好きな河童は、あまりのうまさに「すまんがもう一つくれんかの?」と言いました。

綱次郎は「そんなに甘いものが好きなのかい?それじゃあ好きなだけ食べてもいいよ。」

と言ったので河童は大喜び、時間がたつのも忘れてあめ玉を食べ続けました。

 

 ふと気が付くと12時を回っており、河童は驚いて

「いけない、殺す予定の時間が過ぎてしまった。仕方がないから殺すのはあきらめよう。」

と言って川の中に潜っていきました。

 少しすると不思議な事がおきました。

金色の鯉が川の中から飛び出して、綱次郎の足元に転がったのです。

そして川の中から声がしました。

「忘れてた、あめのお礼だ。」

 

 しばらくすると「おとう、今帰ったよ。黄金の鯉を取ったどー。」

 無事に帰って来た綱次郎の元気な声に、甚左エ門さんは驚きました。

「まさか、綱次郎が無事に帰ってこようとは、しかも鯉を持って……。」

綱次郎の顔を見て、甚左衛門さんは再び涙を流しました。

しかし今度はうれし涙です。

 

 場所は移り神社の祠の中で話し声が聞こえます。

「 根本の神さん、綱次郎を助けてくれてありがとな。」

「いやいや産土の神さん、わしが助けたわけでは無いんじゃよ。甚左衛門の気持ちに免じて助ける価値がある人間かどうか、死神さんにチャンスをくれと頼んだんじゃ。もしも生かす価値のない人間じゃったら綱次郎はあそこで死んどった。綱次郎の勇気と優しさが自分の命を救ったんじゃよ、のう河童や。」

河童「ヘイ、さようで」

「それはそうと、飴をわしにもくれんかの?」

 

 怪我も治った甚左衛門さんは、それからというもの、またまた日参を始めました。

でも今度の行く先は河童淵でした。河童淵のほとりに、甚左エ門さんがアメ玉を毎日供えるようになったのです。

「おっかあと綱次郎が、元気でこの世にいられるのも河童さまのお陰だよ。」

綱次郎さんの日参は孫に囲まれて幸せな一生を終えるまで続いたそうです。 ・・・完

 

 参照サイト KAIC・・桐生の民話「河童とあめ玉」、Albert 佐々木氏・・河童と民話館